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「鯉のぼり掲揚式」に参加して。

終戦68回目の4月27日、「鯉のぼり掲揚会」は晴天に恵まれ、今年も県内外からたくさんの方々が、慰霊のために訪れていました。BSA(アメリカンボーイスカウト)や沖縄国際センターの研修生も参加しておりました。鯉のぼりを掲げ、子ども達の元気な笑い声と笑顔で「御霊を慰める」という沖縄ならではのちょっと変わった鯉のぼり掲揚式でした。

そこでの、ちょっとした出来事を紹介したいと思います。

与那原1団ボーイ隊の中本征矢くんのプラカードは長野県でした。参加者は、「島田さん」という長野県人がたった1人でしたが、この掲揚式に一般参加した沖縄の若い親子が参加して6人で長野県の戦死した方々を祭っている「信濃遺塔」に向かいました。午前11時、一斉に掲揚される際に、「こいのぼり」と「ふるさと」の歌が静かに演奏されました。

遥か長野県から、南の島沖縄まで出兵して亡くなった方々のために、皆で慰霊の心を込めて島田さんと歌いました。島田さんは「この歌は、長野県人の高野達之という人が作詞したんですよ。」と教えてくれました。また、「長野県は、この”ふるさと”の歌詞そのものの風景なんですよ、そこで育った彼ら(戦士たち)も、今では土の中で、感慨深く聴いていることでしょうね。」と語っておりました。

与那原1団BS隊副長 山城 幸子



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